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ウィリアム・ブルックス

アメリカ合衆国の農学者。明治初期にいわゆるお雇い外国人として日本政府より招聘を受け来日した。北海道、札幌農学校で師であるウィリアム・スミス・クラークが去ったを引き継いだ。タマネギをはじめ、ジャガイモ、トウモロコシといった西洋野菜を紹介し、その栽培法を学生や近郊農家の人々に指導した。
帰国時にはその功績をたたえて、日本政府から勲四等旭日小綬章を授与される。

大黒屋光太夫(だいこくやこうだゆう)

伊勢国(現在の三重県)の商人。1782年白子(しろこ)港の廻船神昌(しんしょう)丸で江戸に向っていたところ、駿河沖で暴風にあって遭難。8か月の漂流ののちアリューシャン列島のアムチトカ島に漂着。寒さと飢えをしのぎながら4年を同島で過ごしたのち、カムチャツカ、イルクーツクにわたる。幾度となくロシアで日本語学校の教師などを打診されるも帰国を望み続け、苦労の末エリク・ラクスマンの計らいでエカチェリナ2世に謁見。1792年アダム・ラクスマンの船で、日本との貿易を望む使節として根室に帰還。
帰国後、幕府にさまざまな質問を受けるも、危険人物という疑惑が残り江戸の薬草場に生涯留め置かれた。その間も見聞した知識を有志の人々に伝えた。その記録に桂川甫周著の『北槎聞略(ほくさぶんりゃく)』がある。

アレクサンドル1世

ロシアの皇帝(在位1801〜25年)
父にバーベル1世、祖母にエカチェリーナ2世をもつ。幼少のころに祖母の下で育ち自由主義的政策をうつ。その後。地主貴族勢力の強い抵抗やナポレオン1世との戦いに敗れたことで反動的になった。ティルジット条約を結び,1812年祖国戦争に勝利を収めてウィーン会議に出席。神聖同盟の結成を提唱し、自由主義運動などの弾圧を行う。また統治中にポーランド、フィンランドを治めた。晩年は神秘主義となり、熱病により急死。

大槻玄沢(おおつきげんたく)

陸奥(岩手県)陸中出身の江戸後期に活躍した蘭学者・医者・教育者。
22歳で江戸に出,杉田玄白・前野良沢に学んだ。長崎遊学後、1786年江戸に私塾芝蘭堂を開き蘭学教育に尽力し、稲村三伯・宇田川玄真ら多くの蘭学者を育成した。また当時の外交問題にも関心をもち『北辺採事』を著した。著書に『蘭学階梯』。【出典:旺文社日本史事典 三訂版】

志村弘強(しむらひろゆき)

陸奥国江刺郡(現岩手県)羽黒堂村出身の江戸時代後期の儒学者。
兄弟三人とも儒学者として江戸時代中期から後期にかけて活躍。江戸幕府直轄の教学機関である昌平黌で学び、古賀精里に師事。1834(天保5)年に学問所の師範となる。のち仙台藩の藩校である養賢堂の副学頭となり、12代藩主伊達斉邦の侍講も務めた。

多紀理比売命(たぎりひめのみこと)

天照大神との誓約によって須佐之男命の剣から生まれた三女神のうちの長女。2017年に世界遺産に登録された福岡県の宗像大社中津宮に海の神、水の神として祀られている。夫は大国主命とされる。

市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)

天照大神との誓約によって須佐之男命の剣から生まれた三女神のうちの次女。2017年に世界遺産に登録された福岡県の宗像大社辺津宮、同じく世界遺産の広島の広島の厳島神社に水の神として祀られている。宗像三女神のなかでももっとも美しいともいわれ、のちに神仏習合によって弁天様と同一と扱われるようになった。

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